過去

小学4年生の頃から重度の鼻炎に苦しんでいました。

毎日呼吸するのも辛く、何をするにしても集中力が続きませんでした。定期的に耳鼻科に通い、あらゆる薬(点鼻薬や漢方など)を試す生活をしていました。特に裕福でもなかった家庭なのに、親からかなりの医療費を出してもらっていたことに頭が上がりません。

そんな中、高校2年の終わり頃に、母親がどこかから聞いてきた情報で日帰り手術を知りました。高校受験も近く、一刻も早く体調を整えたかった為、鼻の粘膜を焼くレーザー手術と鼻の骨を折り曲げる手術を同時に行いました。ひどい激痛でしたが、これで治るのだと思い、安堵に浸っていました。

しかし、術後、待っていたのは口を開く時の違和感でした。万力なようなもので強制的に口が開かれるような感覚です。この違和感が絶え間なく続き、鼻炎の時よりも集中力が続かなくなってしまいました。集中して勉強しようと思っていた矢先に真逆のことが起こってしまった為、精神的に追い詰められ過ぎて、次第に文字が読めなくなってしまいました。何かのせいにしたい気持ちでいっぱいになり、身近にあるモノ全てを恨んだ記憶があります。とても愚かだったと思いますが、どうすべきだったのか今でもわかりません。

周りは賢くなっていく中、勉強しても成績は上がらず、落ちぶれていきました。何とか治したくて何度も医者に相談しました。最初は真摯に対応してくれましたが次第に疎まられ、最終的には「改めて手術をするが、もし治らず、これ以上通院するようであれば訴える」と言われてしまいました。高校生だったので震えながら手術を受けた記憶があります。もし治らなかったら訴えられて家族に迷惑をかけてしまう。裁判をするお金があるのだろうか。医者が雇う弁護士に勝てるのだろうか。

手術の結果、心の底から治ることを祈りましたが何も変わりませんでした。頭が真っ白になりましたが治ったと嘘をつくしかありませんでした。その現場を近くで見ていた看護師さんから二人きりの時に「若いのに偉いね」と色々励まされたのは救いでした。もしこの励ましがなければこの世にいなかったかもしれません。

もうどうしようも無い、一生治ることがないのだと思いましたが、何故か「もしかしたら」を捨てきることが出来ず、この違和感と向き合うようにしました。この違和感にも特徴があり、起床してからお昼までの間と何かを食べている間は何も感じないのですが、お昼を過ぎてから違和感が復活します。そうなると午前中に頭を働かせることと、起きている間は何かを食べ続けるようになるわけです。その為、当時の体重は89キロ体脂肪率40%まで太ってしまいました。また、短い間に集中しなければならないということから、DHAのサプリをよく飲んでいました。本当にサプリの効果があったのかどうかわかりませんが、文字が読めない代わりに文字を写真のように暗記するようになりました。写真を頭に取り込み、理解しやすいように読み返します。その効果があったからか、生物の科目だけは学年一位となり、総合的には下から三番目という謎の成績でした。

しかし、色々試行錯誤しつつ改善を心掛けていても、高校3年の終わり頃には学校に行けなくなっていました。家庭内においても、元々母親とも仲が良くなかったのですが、この手術をきっかけに更に悪くなり、一切会話をしなくなってしまいました。この悪い空気が連鎖し、家族全員が重い空気で過ごすようになりました。後の話にはなりますが、この時は永遠に会話することが無いと思っていたことも、手術を受けてから10年近く経って、ようやく笑いながら話すことが出来ています。10年です。とてつもなく長い時間ですが、生きていると色んなことがきっかけとなり、良くも悪くも変化していくのだと思います。とある家族では3分で解決する問題なのかもしれないですし、別の家族では一生解決しないことだったのかもしれません。うちは10年だったのです。

受験シーズンになり、なんとか勉強を続けていましたが、受かる気がしていませんでした。また、センター試験を受ける直前、家族で引っ越すことになり、普通ならば喜ぶところを僕は不貞腐れてしまいました。受験で落ち着かない時に何故このタイミングで引っ越しなのだと。とても苛立ちながらセンター試験を受け、自己採点もせず、引っ越した先で苛々過ごしていた記憶があります。しばらくしてから芸大の募集に目が留まりました。センター試験の2科目だけで受験することができると。急いで自己採点をし、結果を見ると現代文が9割、世界史6割と、思っていた以上に点数を取れていた為、喜んで応募しようとしたら応募期間が1日過ぎていました。今ならアホだなと笑い話にもなるのですが、当時は膝から崩れ落ちてしましました。周りは合格していく中、自分は変な手術を受けたせいで遅れを取り、しまいには医者からも訴えると脅され、家族は引っ越しで浮かれている。心の中で何かが壊れてしまったのか、受かるはずのない私立の大学を闇雲に受験しました。親から何十万も出してもらいながら受験をしたのです。親は悟っていたのかわかりませんが、お金を出すことに対し、何も言うことなく、応援してくれました。結果はどこにも受かることはありませんでした。

もう駄目だ、違和感も一生治ることが無いし、辛い思いをしながら生きる意味があるのだろうか。狭い思考ですが、当時の価値観ではこれが精一杯でした。どうしようもない姿を見かねて親は浪人を許してくれました。

高校も卒業し、手術を受けてから1年以上経過した頃、奇跡的にその違和感を消す方法を見つけることが出来ました。それは舌を上顎の裏へ持っていくという奇妙な動きです。これをすることによって、違和感は徐々に消えていきました。こんな方法だったのかと落胆する思いもありましたが、身体が生きる為に成長(進化)したのではないかとも思いました。治ったことへの喜びも勿論ありましたが再発の不安や後悔の念の方が強かったです。その為、前向きに生きることが出来ず、親から予備校のお金を出してもらっていたのにも関わらず、あまり通うこともなく、バイトに明け暮れました。ピアスを開けたり、坊主にして髪を染め、髭を伸ばしていた頃は情けなかったと反省しています。

勉強を全くしないにしても1回も受験しないというのはさすがにまずいと考え、バイト代で密かに受験することにしました。奇跡的に合格し、嬉しかったのは確かですが、やはり今までの後悔の念の方が強かったです。

大学へ入学し、人生で初めての彼女ができたことで、僕は人が変わりました。これを俗に言う大学デビューと言うのかもしれませんが、そんな次元ではなかったと思います。これまで出来なかったことを取り返したくて必死だったのだと思います(後に改めて手術を受ける話はまたどこかで追記します)。